眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

2.7

 

 

 

ずっと自分のことを諦めが早いと思っていたし、現実的にそうだったと思う。人が離れていくことが仕方がないと思っていて、ただ一人さえいればそれでいいやみたいな。本当に。それがいつの間にか、こぼれ落ちそうになる目の前にある幸せに執着するようになった。わがままになったものだ。いやずっと我儘か。誰かを失う恐怖と、早く他人に戻りたいという願望の狭間で行ったり来たりしています。最近こんなことばかり書いている。ずっと同じことばかりを考えている。早く目の前から人がいなくなっても無関心のまま、ただ消えた現実だけを咀嚼できた自分に戻りたい。失った現実を仕方がないな、で終わらせることができる自分に戻りたい。人と出会うことがたまらなく怖くなりました。でもきっともうこんなに怖い気持ちを得るような人には出会わないと思います。もし出会えたら多分神様が私の人生を祝福してくれたのでしょう。でももう二度と御免です、こんな気持ちはね。昔のなんとでもなったらいいし、どうでもいいって気持ちに切り替えても急に失う現実の恐ろしさが脳を支配します。ずっとそれの行ったり来たり。登っては下り、登っては下りの無限ループ。ふってその思考に囚われてその事しか考えられなくなって、そして急に悟ったように何もかもがどうでも良くなり開放的になる。結構しんどいのでどっちかに割り振ってしまいたいものです。楽になりたいとずっと思っている。少し前までは出会わなければよかったとか言いたくなかったけど、今はずっと出会わなければよかったと思ってしまいます。でも間違いなく人生を変えて救われました。その事実は永遠に変わりません。ただその救済とただそこにある無機質な現実の差に耐えられないと思いました。出会わなければこんな差を知ることもなかったし、意味の無い虚無感に襲われることもなかったんだろうなと思うと少し羨ましい。でもやっぱり救われたんですよね、何度も何度も。だからその人間性や言葉や行動を知ることが出来たのは良かったことだと思います。うーん、矛盾かな?出会いたくなかったと思う自分も、救われたと喜ぶ自分もどっちも本心でどちらも心からそう思っています。人間は常に相反する感情を同時に持ち続けているのかもしれません。これが失恋の痛み、というものなのでしょうか。私には分かりません。相手に向けていた感情が恋だったかどうかなんて。いつかもっと歳を取って、もっともっと色んな出会いと別れを繰り返し色んな感情を知った時に今の感情の意味を知るのだと思います。ただもうこんな苦しさも痛さも虚しさも二度と感じたくないのです。毎日毎日同じことばかりを考えています。目の前から消えてしまうその人のことを、その人から貰った沢山の救いと言葉を。脈絡もなく人にこの事を少し話すと、消えてしまうなんて幻想だと言われます。私もそうであって欲しいと願うのですが、きっとそうなります。区切りが来たらそこでさようならです。もうそこからは二度と出会うことの出来ない、まっさらな他人に戻るのだと思います。これは消極的すぎるのでしょうか。でも私はある区切りが来たらそこで全てをまっさらにしてしまう人間なのでそう思ってしまいます。きっと今属しているコミュニティとは期限が来たらさようならです。諦められない感情と、失ってしまいたい欲望をどう処理したらいいのでしょうか。目の前にあるテキストをどうやって頭にスキャンしたらいいのでしょうか。虚しい、虚しい、虚しい、虚しい。ただ虚しさだけがずっとずっと頭にこびり付いて離れないよ。