眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

3.25

 

 

何も無いのだけれど、何も無い自分にたまにご褒美みたいな幸せがやってくる。それは突然で、今までの行動の答え合わせみたいな気がしている。それがきっと幸せというのだと思う。良くも悪くもこのドライさが好きだ。きっとこういうものを求めて今まで生きてきたのだと思う。今までのどんな関係性とも違う。これが最適解なのかも。まだまだ人生はぐるぐるする。何が正しいかなんて流動的に変わっていってしまうのだけれど、その中でひとつでもいいから答えを見つけてみたい。怒涛の人生の始まりかも。まだ分からないけれど。それでもきっと私はその怒涛を愛せるような気がする。それが今の全て。今まで欲しいと願ったものの全て。もっともっと心に波が立つのだと思っていたけれど、想像よりもずっとずっと静か。そんなふうになれたことも嬉しい。別にそんなつもりはないのだけれど、何かが離れているのだと言われたりする。それはどの時点の私から持っているものなのか。今は分からなくてもいいから、死んだら神様に教えてもらいたいな。

 

 

 

12.31

 

 

変わらないことは無いのだけれど、それでも変わらないものがあればいいのにとか。そんなことを少しだけ考える。いつか全てがなくなってしまうかもしれない。散り散りになってしまうかもしれない。それでも死にはしなかった。結局のところ生きていて、生きるのしかないのだと思う。別れた人もいれば新しく出会った人もいて。また自分は同じことを繰り返すんだななんて考えながらも、もうそれにすら感情の重きを置かなくなって。人生の繰り返しと変わることの無いどうしようもなさを。いつか全てが穏やかな世の中が実現しますように。年の瀬だけは複雑な自分の精神もそれをただ素直に願うことが出来る。普段も考えているのだけれど、いつもの私はひとつのことに対して色んな意見を持つものだから。正しさとは何かとか。実現可能性はあるのかとか。でも本当にずっと穏やかさは望んでいるのに。良いお年を。

 

 

 

12.10

 

 

 

どんどん自分が穏やかになっていく感覚がある。自分では穏やかになっていると思っているのに周りからはあまり賛同を得られないのでそうでもないのかもしれない。今年はTumblrも新しくした。こんなに同じ場所に自分を出し続けているのは初めてのことで、逆にここがあるから他が続かない感じもある。良い悪いの話ではなく。あまり今年は年末に向かっている感じがしない。何故だろうか。あまり寒さを感じないから?ここ数日暖かくてどうなっているのか分からない。精神の安定、どんどん平らになっていく自分の意思、でも突然大きく振れてしまう。もう二度と誰にも好きという感情を持ちたくないと願いまくったからか、あの頃のような激情を他人に持たなくなった。良い事だと思う。自分の確保。自己がここにあるのだという実感、自分の気持ちがここにあるのだという感覚。つまらない人間になっていくかもしれない。それでも今この瞬間を記録しておく。この冬私は何を獲得するのだろう。どんな人間になっていく?もう変わることは無いのかな。でもやっぱり数ヶ月前の私と今の私では感情が違う。ものの見方も変わっている。やっぱり変化はし続けるのだと。何かを知ったと思っても、少し時が経てばそれは更新される。知識に終わりはないのだと実感する。知識にも終わりは無いし、私にも終わりはない。全部を飲み込んでなにかに変えられたらいいのに。でも変えられないからこそ人生は面白い?

 

 

 

 

9.6

 

 

気づいたら夏が過ぎ去っていた。まだ暑いけど、体が確実に秋を感じている。時間が経てばものの見方は変わるし、感じる気持ちだって変わる。それが嬉しいような寂しいような。あの頃断罪していた人間にどんどん自分が近づく感じ。でも近づけば近づくほど常識があるように感じる。いつか自分がなりたくないと思っていた人間は本当は一番なりたいと願っていた人間なのかもしれない。数年間ずっとなぜ殺人は許されないのかという問いを考えている。なんの倫理観も芽生えていない意識に、なぜ人は虫を殺すのに人を殺してはいけないとかと質問された時になんて返すかをずっと考えている。何度考えても最後には一つの結論に向かう。これは倫理なのだろうか。色んな人に聞いてみたい。どんな常識にも囚われない無限の生命体にそう聞かれた時、どう返すのか。これはその人自身の善悪は関係ない問いだと思う。でもやっぱりその人の価値観は答えに反映されるから善悪の話なのかも。まだわからない。多分死ぬまで考えているだろうし、もしかしたら死ぬ間際に返答が見つかるかもしれない。私の善悪の判断で答えても、その善悪の根源を尋ねられたら返しようがないのでその答えも考えると永遠の問となりこんがらがってしまう。ひとつの問いに対して答えはひとつでは無いのだとそんな時に感じる。正解か不正解かはっきりしている問題の方がこの世の中少ないんじゃないかと思う。同じAという事象でもどの角度から見るか、ただそれだけで全く違う答えが出てしまう。私の正義と貴方の正義は違うのだと日々気付かされることばかりです。あの頃の私が思っていたことは、今の私から見ればわがままに感じてしまう。でもいつかの私は今の私にそう感じるのだから、今もそう思われているかもしれない。正解はないのだと教えてくれたあの人にもう一度会ってみたい。そんなことを考える夜です。

 

 

 

6.30

 

 

たまに自分が人のためにこんなことが出来るんだなと感動する瞬間がある。こんな事ができるようになったんだなとか、こんなふうにものを見ているんだなとか。色んな気づきがある。誰かと見方が同じだということが正しいわけではないだろうけれど、私はまだ確固たるものを持てていないので尊敬する人と数値が近いと安心する。自分の見方や考え方は間違えていないのだなと。そして同じものを見てもだいたい同じような捉え方をしているのが面白い。今まで全く別の場所にいたのに。これが感性ということだろうか?まだわからないけれど。いつか意味が分かる日が来るのかな。もう今日で上半期が終わり。全てが真っ白になって変わったようで今までの地続きだったようなそんな上半期だったな。明日から下半期、夏のはじまり。

 

 

 

5.13

 

 

ずっとずっとこのままがいい、ここに居たい、離れたくない、別れたくない、一生一緒にいたい、そんなことばかりを考えた環境から旅立ち一ヶ月半が経つ。新しい場所はかなり幸せ。だけど今までと何もかもが違うから急に足元がぐらつく。急に全部だめになるのではという恐怖に襲われる。怖い。本当は嫌われてるんじゃないかなとかそういうことを考えてしまう。久しぶりに自分が残した色んな文章を読んだ。過去の私へ、どうにかなるから目の前にあるワクワクするものを手に取ってみてね。多分それが私にとっての最適解なんだと思う。いつも目の前にあるこれだという直感に従って生きてきた。ここだ、これだってことに。何か違うかもと思う場所は行っても苦しくなるだけだから選ばないようにしている。また逃げちゃうし。今となっては色んなことが懐かしい。全てに必死で縋るように生きていたこととか。今も大して変わってないと言われるとそうなのだけれど、周りの環境は変わっているからやっぱり懐かしく思う。たまに自分が書いた文章を読み返すと、ああこんなこと言われてたんだなって思い出す。やっぱりその時は嬉しくても忘れちゃうんだなと再確認した。だからいつかの自分のために記録しておく。新しいワクワクがここにあって、だから目を離さないでね。

 

 

 

 

3.25

 

 

 

人生は何が起こるかわからないもので、嫌だ嫌だと逃げ回っていた人間に大切な友人ができたり別れに怯えたりしました。今は寂しいけれど一つの区切りとしてこの別れを受け止めることが出来ています。始まればいつか終わりは来るもので、それは自分の手で終わることもあれば相手によって終わることもあって。ただこの期間どちらも起こらなかったことが奇跡のように感じます。美しく、いつまで経っても未知の世界を見せ続けてくれた友人ができたこと、ありのままの私を否定せずにいてくれた友人ができたこと、私の財産であり誇り。不思議なところが似ている友人だったので、多分この先のことは同じことを考えているんじゃないかなと思ったりする。わかんないけど。答え合わせは出来ないけど、これからの人生でいつか分かるような気もする。本当に楽しかった、面白かった、いっぱい感じた虚しさも今はもう感じないよ。新しい何かが楽しみになれたよ。だから一度ここでおしまい。幸せな日々よ永遠に。この幸福な記憶がずっと私の頭の中に留まってくれることを。

 

good bye. until next time.