眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

10.20

 

 

よくわからない日々を送っている。疲れてしまった。でも体は普通に動いていて、嫌だ嫌だと言いつつも行かなければならない場所には向かっていて進歩を感じる。頭が頑張らなくてもいい方向にばかり働いてしまう。本来やらないといけないことを放棄して、今やらなくてもいいことばかりにエネルギーを使ってしまう。そして疲れた。いつものパターン。ある行動によって解消されて、よし頑張ろうと思ったものの結局頑張れなかった。自分という人間の底値を見た感覚。どうしようもないな。雨が降っている。雨音が好きだと多分何度も文章にしたと思う。やっぱり雨音は好きだ。何かを得る代わりに何かを消費し、その消費具合が酷く得るものよりも摩耗する分量の方が多くなった時がやめ時だとわかっているのにそこまでくるとやめられなくなっている。結果がマイナスであれど、やってはくるプラスに縋ってしまう。手を出すのをやめろと何度も言われたし、自分の中でももうやめた方がいいと警告しているのにその警告や忠告を全て投げ捨てたくなる瞬間がやってくる。そんな時の人への頼り方がわからない。孤独を感じることよりも、いつかくる終わりを感じる方が恐ろしくなってしまう。そしてまた組み立て方を間違える。悲しい。急に寒くならないでよ、急に秋にならないでよ。うまくいかなかったあの日々よりも実は今の方が堕落しているのだろうか。何度も私を救い、何度も裏切ったあの人に私は会いたいと思うけど怖くて結局会えていない。元気だろうか。頭がどんどんダメになっていっているような気がする。いつでもやめられると思っていた煙草がいつの間にかやめられなくなっていた。苦しいです。人と分かり合えないことが。一人でいる時よりも誰かといる時の方が孤独を感じることが悲しい。怖い。どうしたらそんなところから逃れられるのだろう。私を癒すものはいつになっても本物にならない。本物にならない悲しさよりも、本物じゃなくてもいいからと収集する自分が嫌になる。もっとどうにかなってしまえば楽になれるだろうか。振り切ってしまえれば自由になれるだろうか。解放されるだろうか。疲れた。もっと省エネルギーになればいいのに、多大なエネルギーを使ってしまう。もうシャットダウンしてしまえばいいのに。追い縋る自分と、追い縋る他人。根源を抜き去ってしまえばもうこんなことで疲れなくなるのだろうか。どうして現状に満足ができないのだろう。どうして一度感じた寂しさを何かでうまく紛らわせることができないのだろう。どうして振り向かないを徹底できないのだろう。どうして他人を羨むことをやめられないのだろう。いつかあんなふうになれるだろうか。そんな想像ばかりして、何の実感も持てないまま。いつの間にか何かに乗っ取られたようなそんな気分。もう無理だよ、といってしまえばいいのにそれが言えない強がる自分。どうしてそんな時だけ強がるの。全部突き放してしまえばいいのに。逃げることだけは得意でしょうって。逃げることだけは本当に得意になってしまった。いつも逃げている。そして逃げたことを忘れる。色んな記憶が頭の中をよぎり、交差する。今頭の中にあるイメージはどうして頭の中に現れたのかわからない。懐かしいという気持ちと、今すぐその場所へ行きたいような不思議な気持ち。懐かしいな。あんな時期が自分にもあったんだ。薄汚れた欲望と、ドロドロに濁った素直さだけをここに掃き溜めます。ただ一人への憧れと羨望とちょっとした嫉妬心のような、そんな気持ちだけでこの一年ぐらい過ごしてきた気がする。こんなにも人のことを考えたのは初めてかもしれない。不思議なぐらいずっとずっと考えていた。苦しい疲れた、頑張れないけど頑張らなきゃ。強くなるために、何かを乗り越え理解するために。手に入れたくても手に入れられないものほど欲しいと思うのはなぜでしょう。もう絶対に手の届かない場所にいってしまったのだと気づいた時絶望する。それまではどうにでもなると思い込んでいたのに。わかった後ほど執着する。執着すればするほど手からスルスルと離れていってしまう。こぼれ落ちそうな幸せだけをコレクションボックスに入れることができたらいいのに。手に入らない幸せに執着しなくなるためにはどんな修行を積めばいいのだろう。疲れた。