眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

1.5

 

 

どこにも無いものはここにあって、ここに無いものは何処かにある。多分そんな気持ちなんだろうな。体の中がぞわぞわする。ぐるぐるぐちゃぐちゃする。これが生きてるってことかも。少し気持ち悪い。でも気持ち悪いけど爽快。たまに起こる、こういうこと。頭がぐわんぐわんして、混乱する。何かが溢れ出しそうで、でも何も出てこない。出てくる気はするのに出てこないから悔しい。自分がそれだけでしかないってことを分からせられるから。噴火するみたいに何かが湧き出てきてくれたらいいのに。ぼこぼこと湧き出て、止まらなくて泣いてしまうぐらい出てきてくれたらいいのに。でも私の中からは何も出てこない。悔しい。悔しいって言葉を使うことが私にとっては悔しかった。負けを認めることになるから。自分が負けたと認知しなければならないから。嫌だね。好きと嫌いがここにはあって、羨ましいとぶちのめしたいがここにもあって、全部がぐちゃぐちゃに混ざる。いつか私もあちら側にいけるだろうか。いけないことはわかってる。でも望むぐらいいいでしょう。タダなんだから。誰も傷つけないし。体の表面は熱いのに奥底はどんどん冷えていって寒くなる。寒いのに暑い。暑いのに寒い。不思議な感じ。動悸がする、でも冷静に目の前のそれらを眺められる。頭の中に飲み込んでいける。多分これが嫉妬するということ。烈火のごとく燃え盛る羨望と、心の奥底から湧いてくる興奮。わくわくとむかむか。手先が冷えていく、でも頭はどんどん熱くなっていく。むかむかする。吐いてしまうことが出来たらどんなに楽でしょう。ああ、ずっとそのままでいてくれたら。私が持っていないものをずっと持っていて欲しい。せめてそれを手放さないで。私はどんな大金を払っても手にすることが出来ないのだから。

 

 

 

 

12.31

 

 

もう今年が終わっちゃうよ。さよならしなきゃいけないんだね。今年はどんな一年だったかな。人生で一番安定的だったかも。好きな人の幸せをただ祈ることができるような人間になりました。でもこれが好きってことかも。相手の幸せを願えるような人間になれたことが凄く嬉しい。今までが最低すぎたのだけれど。私にとって人生を変えてくれた人たちともう少しで別れなければならない。元からそんな期限はあったし、でもさらに遠く遠くに行くことを決断した年でもあった。寂しいけどこれが最善なのかなと。自分がこれだと思ったものに飛びつく勇気だけは持ち合わせていて、それは自分の長所なのかなと思ったり。もう会えないなら死んでしまいたいと思っていた私が、どんな形でも幸せになって欲しいと願い自分が遠くに行く決断をしたこと。全部この場所を始めた頃には想像もできなかった。でもあの頃から決断力だけはあったかも。この人生は私のものだから。私だけのものだから。そんな気持ちでここまで生きてきた気がします。そんなこんなで今年も残り数時間。来年はどんな一年になるだろう。多分新しい人生が始まるかも。楽しみ。良いお年を。

 

 

 

11.4

 

君に出会えてよかったと思ってるよ、と言って貰えた10月だった。多分私はそんな言葉が欲しくてずっとさまよってる。ずっと迷惑ばっかかけてて、ずっとわがままを聞いてもらっててずっと私の支えだった。たまにだめになって、それでもまた関係は続いていて不思議だなと思ったりする。今は色んな意味で安定してるかも。もう大丈夫かなと思ってる。ここまで来るのに時間がかかったけど。これが人を信じるってことなんだと思う。いつも欲しい欲しいともがいてばかりだったけど、もがかなくても離れていかない人がちゃんといる。自分のことを見て欲しいばかりじゃなく、相手のことも見つめること。やっとわかった気がする。だいぶ遅いけど、かなり時間がかかった。いつも不安で、居なくならないようにしなきゃってことばかり考えて行動してきた人生なのでなんでこんなことになったのかわかんない。よくわからないけど、ここまで来れた。ふらりと近付いて、ふらりと遠のいて、多分ずっとこういう関係性なんだと思う。それがある意味らしいのかも。そんなこんなで今年もあと二ヶ月を切りました。人生どんどん楽しくなっていってます。懐かしいなと思っても過去に戻りたいと思わないのが自分の良いところかも。

 

 

 

7.15

 

欲しいものが欲しいのでもがきながら、しかしいくらもがいても手に入らないと知っているのでできるだけ欲しいものに近いものを手に入れようとしている。特にそこに変わりはないけれど、以前よりも機械的に行えるようになった。たまに後悔する。変わりがないようなあるような、不思議な感じ。だけどそれでもなんとかよたよたとでも歩いている。やることが多い、タスクが多い。頭がパンクしそう。ただどれだけ嘆いても時間は平等で、毎日決まったように流れていくので眺めているしかない。残り時間がいよいよ短くなってきたなあという実感と、まだもう少しはあるのではないかという意味の無い期待を胸に持ちながら。虚しいと思う時期は通り過ぎたようでたまに手に入るとラッキーだなあと思ったり、自分の不手際で手に入らなかったそれを悔いたりしながら日々を過ごしています。

 

 

 

5.15

 

 

怖くて苦しい。いつかどうしようもないぐらい遠くに行ってしまう。悲しい、怖い。どうすることも出来ない。もう二度と会えなくなるかもしれない。遠い遠い場所に行ってしまって今なんて簡単に忘れ去ってなかったことになって、ただの過去となる。自分にとって偉大な出会いであればあるほど、今の当たり前が消えてしまうことが辛い。もうそのうち当たり前は消えてしまう。儚い日々だったのだと思い出す時はもうそこまで来てる。何かを失えばこれが続くのであれば色んなものを捨ててしまえると思う。でもそうはならない。過去の産物になり、当たり前が当たり前でなくなってしまうのであれば期限が来たらまっさらにしてしまおうかなんて考える。どうして出会ったのだろう。出会わなければこんな恐怖に震えることもなかった。自分にとっての比重と相手にとっての比重が違いすぎてただ一人で怯え震えるしかない。人生を大きく変えてくれた事象がいっぱいあって、そのどれもが比率として大きすぎた。もう二度とこんなことは起こらないかもしれない。何となくそんな気がする。もしもこれからの人生で同じようなことをまた体験出来たら祝福されているのだと思う。幸福とは知らないうちに手の中にあり、手の中にある時にはその幸福の大きさに気がつくことが出来ず失ってからその規模に気がつくのかもしれない。この幸せや救いに名前をつけて保存するにはまだ自分の容量が幼くてしまっておけない。少しずつでいいから前進すること。少しずつでいいから嫌な部分を改善していくこと。もうそれぐらいしか期限までの時間を使ってできることがない。

 

 

3.21

 

何かたった一つ、盲信的で少し狂った関係にまたひとつ終止符を打ったようなそんな最近でした。お互いに相手のことを都合のいい時に利用しようみたいな気持ちでしか相手のことを見ていなかったんだろうなと思います。私もそうだったし、多分相手も。そしてその相手にそれだけの価値が無くなったことをお互いに理解し合ったからこうなったんだろうと。少なくとも私にはもうそれだけの価値も優しさもありません。友人に少し前に自分の特技を話しました。お酒を飲んで酔っていたから口からいくらでも出ていきました。もちろんその友人を信用していたから言えたことで、他の人には決して言えないことです。友人は笑っていました。私がこうなりたいと話すと今はそうでは無いかもしれないけれどその一端は持っていると言ってくれました。私がこうであることを否定せずに優しく笑ってくれる大事な友人です。私がこうなりたいと思う一因となった友人のことも大好きです、今はただその気持ちを素直に話すことができます。自分の人生の中で一番自分を見つめ直す理由になった人です。本当に自分がどんどん変わっていくことを感じます。一年前の自分は別人のよう、怖いぐらい。私が書いた文章はほとんどが自分のための文章で、自分が読むために自分がいつかこの時の自分を知ることが出来るように書いています。もう忘れてしまった名前もあれば、十年近く使っている名前もあって目を覆いたくなっても全部残しておけばよかったなとか考えたりします。自分の人生最高の日だと思った日からもう一年が経ったのかと思うと面白いです。私が思い返す軸の中にさっき書いた友人がたった一人独立して巨大なピンとして立っています。その友人との思い出が私の過去を振り返る軸になっています。そんな人に出会うなんて私は何も知らないままある選択肢を取りここに来たんだと思うと不思議な気持ちになります。人生の最高の日を知らない私、知った後に深く絶望した自分、色んな私がいて文章を読み返す時に考えます。

 

約三年前に初めて読了した小説を読み返しています。久しぶりに読むと新しい発見があったりして面白く、最後の方は何度も読み返しているのだけれど全部を読むのはあれ以来かもしれません。あの頃の感想が知りたくてあのころ付けていたであろう読書記録場を右往左往しました。今もですが継続しない性格なのでああ、ここにあったのかと不思議な気持ちでした。そう思うと田中という名前はかなり長く持っている名前かもしれません。三年前の私はもはや今の私とか別個体の人間で、懐かしさというかこんな人間もいたんだなみたいな変な気持ちです。今とは全く違う環境に身を置き、多分毎日が今とは違う意味で楽しかった気がします。懐かしい。意外と戻りたいとは思わないけれど、あの日々が間違いなく私の何かを構成しているような。

一年か二年近くある小説家の小説を読むことに読書のほとんどを捧げていた時期があって、あの頃の自分はすごく楽しかったなとか。何も知らない状態で一から全てを読み返したい作家でした。懐かしい。

私にノブレス・オブリージュという言葉の意味を教えてくれた小説が大好きだった自分と、そこから離れるしかないのかもしれないと悟った自分の記録も出てきて面白かった。小説は私にとって神のような存在なのだけれど、盲信しているかと言われるとそうでもなく。でも限りなく盲信に近い何かを感じていて、それが上手く言葉に出来ないことが悔しい。ただ神が全て正しい訳ではなく、ここで終わりだと思えば終わってしまう。それを知ったのがその作品だったのかも。

 

 

2.2

 

年が明けてひと月が経った。一月も変わらず感情が揺れ動き、終わりを感じながらも何とか糸が繋がっている。もはや奇跡だと思う。終わりを察する度に自分の至らなさや不甲斐なさを実感する。もっと素直な人間ならばこうはならなかったのだろうか、でも素直な私では潰れていかもしれないとか。信じていい言葉を信じず、信じてはいけない言葉ばかりを信じてしまう。何故だろう。疑ってばかりの私に何故そんなにも疑うのかと問いかけた人がいた。最初から信じていなければダメだとしてもショックは薄い。全てを信じて疑い続けた私に残るものはなんだろう。私の学生生活が残り一年ほどになりました。辞めたいと思っていた自分より、寂しいと思う自分が勝っていることが今は不思議だと思いません。長い学生生活でした。封印したいことが沢山あって、沢山ありすぎて楽しくなかったみたいに思った日々も今思うと楽しいこともあったんだよなと思ったりします。それでも思い出して楽しい気持ちにはあまりなりません。今の生活になってから目まぐるしいことがいっぱいあって、苦しさ虚しさ悲しさ痛みを沢山感じました。本当に辛かったです。虚構を何度も見つめました。人生で一番どうにでもなればいいと投げ捨てていた時期とどちらが辛かっただろうと何回か考えたけれど答えは出ず。でもそれは当たり前で、比較するなんて最初から無理な話でした。どちらも人生で一番苦しく重い時間でした。どちらも一位です。でも同じ一位じゃなくて、でも優劣はありません。人生は矛盾でできているのだと思います。あともう少しある時間を何とか生き延びたい。それぐらい。