眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

12.30

 

 

今年がもう終わってしまう。いつの間にか年の瀬、いつの間にか年末だ。今年は色々あった。色々あって、色々文字に起こして息をしてきたのだけれどあんまり覚えていない。覚えているけど、そんなこともあったなあとぼんやりと懐かしむ程度になってしまった。でもなってしまったと言うけれど、私はずっとそうなりたかった。あの頃の私はずっとずっとこうなりたかった。だからこれで望みが叶った。今が幸せ。もう私は必要じゃないかもしれないし、要らない子かもしれないけどそれでも私の幸せをくれる人がいた。もう居ないかもしれないけれど。激しさや波や底や空や天上や穏やかさを。それぐらいかなあ。ばいばい2021。

 

 

 

 

10.20

 

 

よくわからない日々を送っている。疲れてしまった。でも体は普通に動いていて、嫌だ嫌だと言いつつも行かなければならない場所には向かっていて進歩を感じる。頭が頑張らなくてもいい方向にばかり働いてしまう。本来やらないといけないことを放棄して、今やらなくてもいいことばかりにエネルギーを使ってしまう。そして疲れた。いつものパターン。ある行動によって解消されて、よし頑張ろうと思ったものの結局頑張れなかった。自分という人間の底値を見た感覚。どうしようもないな。雨が降っている。雨音が好きだと多分何度も文章にしたと思う。やっぱり雨音は好きだ。何かを得る代わりに何かを消費し、その消費具合が酷く得るものよりも摩耗する分量の方が多くなった時がやめ時だとわかっているのにそこまでくるとやめられなくなっている。結果がマイナスであれど、やってはくるプラスに縋ってしまう。手を出すのをやめろと何度も言われたし、自分の中でももうやめた方がいいと警告しているのにその警告や忠告を全て投げ捨てたくなる瞬間がやってくる。そんな時の人への頼り方がわからない。孤独を感じることよりも、いつかくる終わりを感じる方が恐ろしくなってしまう。そしてまた組み立て方を間違える。悲しい。急に寒くならないでよ、急に秋にならないでよ。うまくいかなかったあの日々よりも実は今の方が堕落しているのだろうか。何度も私を救い、何度も裏切ったあの人に私は会いたいと思うけど怖くて結局会えていない。元気だろうか。頭がどんどんダメになっていっているような気がする。いつでもやめられると思っていた煙草がいつの間にかやめられなくなっていた。苦しいです。人と分かり合えないことが。一人でいる時よりも誰かといる時の方が孤独を感じることが悲しい。怖い。どうしたらそんなところから逃れられるのだろう。私を癒すものはいつになっても本物にならない。本物にならない悲しさよりも、本物じゃなくてもいいからと収集する自分が嫌になる。もっとどうにかなってしまえば楽になれるだろうか。振り切ってしまえれば自由になれるだろうか。解放されるだろうか。疲れた。もっと省エネルギーになればいいのに、多大なエネルギーを使ってしまう。もうシャットダウンしてしまえばいいのに。追い縋る自分と、追い縋る他人。根源を抜き去ってしまえばもうこんなことで疲れなくなるのだろうか。どうして現状に満足ができないのだろう。どうして一度感じた寂しさを何かでうまく紛らわせることができないのだろう。どうして振り向かないを徹底できないのだろう。どうして他人を羨むことをやめられないのだろう。いつかあんなふうになれるだろうか。そんな想像ばかりして、何の実感も持てないまま。いつの間にか何かに乗っ取られたようなそんな気分。もう無理だよ、といってしまえばいいのにそれが言えない強がる自分。どうしてそんな時だけ強がるの。全部突き放してしまえばいいのに。逃げることだけは得意でしょうって。逃げることだけは本当に得意になってしまった。いつも逃げている。そして逃げたことを忘れる。色んな記憶が頭の中をよぎり、交差する。今頭の中にあるイメージはどうして頭の中に現れたのかわからない。懐かしいという気持ちと、今すぐその場所へ行きたいような不思議な気持ち。懐かしいな。あんな時期が自分にもあったんだ。薄汚れた欲望と、ドロドロに濁った素直さだけをここに掃き溜めます。ただ一人への憧れと羨望とちょっとした嫉妬心のような、そんな気持ちだけでこの一年ぐらい過ごしてきた気がする。こんなにも人のことを考えたのは初めてかもしれない。不思議なぐらいずっとずっと考えていた。苦しい疲れた、頑張れないけど頑張らなきゃ。強くなるために、何かを乗り越え理解するために。手に入れたくても手に入れられないものほど欲しいと思うのはなぜでしょう。もう絶対に手の届かない場所にいってしまったのだと気づいた時絶望する。それまではどうにでもなると思い込んでいたのに。わかった後ほど執着する。執着すればするほど手からスルスルと離れていってしまう。こぼれ落ちそうな幸せだけをコレクションボックスに入れることができたらいいのに。手に入らない幸せに執着しなくなるためにはどんな修行を積めばいいのだろう。疲れた。

 

 

 

10.11

 

世界が反転する。もう二度とやってこないと思った瞬間が訪れて少し感動した。最初それに気がつくことが出来なくてぼーっとした、そこから気づいて脳がフリーズした。もう諦めていたから。何度も何度もトレースしたこと。でも本物には勝てなかった。誰かが私を安心させてくれる。その安心を一つの恐怖が台無しにする。たった一つの否定が数多の肯定を粉々に砕いてしまう。どうしてこうなってしまうのだろう。どうして否定への比重をこんなに重くしたのだろう。神様に教えて欲しいよ。また頑張って失敗した。何度も失敗する。そして虚無感。でも最初から私は利用しようとかそんな気持ちしか持っていなかった。あーあ。でも仕方がないやなんて考えて、でもどうすれば上手くいっただろうかと考えて。沢山の人と交わりなさい、と教えられました。沢山の人と交わることで飲み込むことが出来るようになるのだと。なのでまあ交わろうとしたのだけれど上手くいきませんでした。多分私は他人を支配したいのだと思います。自分の思い通りに他人を動かしてみたい。自分が望んだ人間を作り上げたいとか、そんなゴミのような願望がいつまで経っても消えません。何もいらないけど全てが欲しいとずっと思い続けていた。欲しい言葉を欲しい時にかけてくれる人を何よりも大切だと思うから破綻するのかな。

 

 

 

8.7

 

 

 

もう少しで二十一歳になる。ついになりたいと思い続けた二十歳が終わる。でも私は二十歳になるということが目標だったので、もう後の年齢はどうでもいいや、という気持ちもある。私は成人した。その現実がどうしても欲しかった。二十歳という一年は人生で一番感情が揺れ動いたかもしれない。本当に。怖いぐらい。今のところ人生で一番の決断はもっと昔だ。でもその決断や選択があったから今があるのだと思う。一度も後悔したことはなかったけれど、何度も悔しいと思った。欲しいものがうまく手に入らない現実や、どうしてという気持ちはふとした瞬間に浮かび上がった。でももう今ではそんなものどうでもいいやというか、前のように浮かび上がることがなくなった。すごく今が楽しい。私が楽しいと言って笑うことを喜んでくれる人ができた。それがすごく嬉しかった。色んな人に迷惑をかけてきた人生で、少しずつ成長できている実感がある。まだまだ悪いところは悪いところとして残り続けているのだけれど、自分というものとの付き合い方を学び始めている。遅いかな、でもそんな感じ。時間をすごく使ったけれど、やっとなんとかなった。やっと色んなことが落ち着いた。辛かった、もう逃げようかなって何度も思ったけれどその過程も今では必要だったのだと思う。私を救ってくれる人に出会った。私の救いだった。今でも救いだ。無条件に私を救済してくれる。何度も何度もその言葉や行動に救われ、私は浮上した。私は私のままでいいと言ってくれたこと、誰とも同じにならなくてもいいのだと言ってくれたこと、苦しさをどこかに葬り投げてくれたこと。何度も出会いたくなかったと思い、何度も何度も出会えてよかったと思った。本当にもう二度と出会えない人だと思う。人は誰一人として被ることはないのだけれど、そういう話とは違った次元で唯一無二だと思う。もう話すことが叶わなくなるぐらいなら、生きていたくないと思った。今は思っていないけれど。この世の価値と等しいと思った人。生きる意味と同等だと思ったこと、本当に色々思ったし考えた。どうして私は救ってくれる人に全てを投げ出そうとしてしまうのだろう。何度も失敗して、いつも反省するのに同じことをしてしまう。馬鹿だと思う、でもどこかで願ってしまう。もうそうやって願うこともやめたい。でもまた私は繰り返すのかもしれない。二十歳になったということの意味を半年経ったあたりから実感し始めています。自分で自分の責任を負うという意味、自分の行なった行動は誰も庇ってはくれず全て自分に降りかかるということ。逆を言えば今までの私は周りの大人にとてつもない力で守ってもらっていたのだということ。無銭の加護の中にいたのだということ。まだ何も持たない私を助けてくれた人たち、何も持っていない私を頼ってくれた人たち、そんな人がいてくれることが本当にすごいことだなあとか。何も持たない私が何かを持つ日は来るのだろうか、来ないような気がする。空回って空中でぐるぐるして、勝手に虚しくなって勝手に落ち込んでまた浮遊していく。それが私かもしれない、とか。他人が持っているものを欲しがろうとすることをやめようと思ったりやめられなかったり。私は欲しいものがすごく欲しいのに、欲しいと思うくせになんとかしようとする気持ちがないからいけないのだろうな。でも私は空から降ってくることを望むことがやめられません。無条件にもらえないかなって。それが無理なことは十二分過ぎるぐらいにわかっているのに。無条件にもらえるほどの人間ではないのに。無条件で貰えるほど何かを持っている人間ではないので。いつかもう一度出会えるだろうか。でも今は本当に私が私でいることを受け入れ、尊重してくれる人がいるから幸せ。今が楽しい、今が幸せ。昔からあまり過去に帰りたいと思ったことがないような人間だったし、そんな人生だったけれど今は特にそう思う。今が一番幸福。私の幸福は私が持っている。私はいつの間にか煙草を止めることができなくなっていました。でも煙草を吸うことで連れて行ってくれる天国があるので、それはそれで良しかなと。これも成人したから味わった感覚だと思います。同じ空間で同じことを共有していることが何よりも幸せでした。私の二十歳は悶え苦しみ虚しさと闘いながら日々を流動し、絶望を味わい全ての意味を見つめ直しながらお酒を飲み煙草を吸っていた一年間だったかな。今までの人生の中で一番生きている幸せと絶望を味わったように思います。さよなら、私の二十歳。私が一番私の誕生日を祝えるよ。

6.26

 

 

 

いい子になったよ。いい子になるよ。多分だけど。でも少しずつ、少しづつ短所や欠点が少なくなって言っている気がする。君が神様なら良かったのに、と何度も思った。来世は好かれるような人間になりたいな。分裂しきったそれを少しづつ癒合していくの。接着剤で頑張ってくっつける。くっつけ切れるかはわからない。全ての欠片をひとつにできる気はしないけど、少しでも大きな複合体になればいい。最後には統一? できるかな。できないかな、また原点に回帰するのね。君が神様なら良かったのに。でも神様だったらきっと出会うことはなかったでしょう。私の世界であり救いであり神様でした。きっとこれからもその象徴であり続けるのだと思います。ただ今はなにか名前のつく関係性になれたことを幸せに思います。きっとずっとそうなのでしょう。もしかしたら三年後には誰かに言われないと思い出せないような、そんな状態になっているかもしれない。そうなってほしいような、ほしくないような。無条件な信頼と信用を渡され続ける人格になりたい。全てが落ち着いていく。

 

 

 

優しさ

優しさ

  • 藤井 風
  • J-Pop
  • ¥255

 

3.25

 

 

理解されたいとか、そんなこと思わない。個人と個人は違うものを持つだけということがどうしてこんなにも難しいんだろう。ただ、私と貴方、あなたとわたしが違うという現実が現実としてそこにあればいいのに。全人類みな違う人間でみんな違う世界に住んでるのにどうして分かろうとするのだろう。違う世界にいるということを放っておくのは悪なんだろうか。少しベクトルが似ているかも、みたいな人同士で話すだけじゃいけないだろうか。理解できないことを理解できないままにすることはいけないことだろうか。どう頑張っても分かり合えないのに?最初から違う場所にいても同じ場所を目指さないとダメなのだろうか。分かり合えないと諦めてしまうことは悲しいこと?でも間違いなく分かり合えない相手というのは存在して、それは至極当たり前でただそれだけなのに。同じ波形を持つ人間は存在しないのだと気づいた時、孤独よりも安心感の方が勝ったかもしれない。同じ波形を持つ人間は存在しないけど、似たような波形を持つ人はいる。凄く嬉しい。人が持つ符号はただの符号だと思うのに、自分のそれにはただのそれだと思えなかった。怖くてほとんどの人に対して口にできない。口の固さに対しての信頼というものはとても厚いのだと最近感じる。自分という個の開放、してよかったと思う瞬間もしなければよかったと思う瞬間もあるけど今はしてよかったかなと思う。理解とはなんだろう。寄り添いとはなんだろう。私が持つ符号と他の人が持つ符号、別に理解し合う必要性も分かり合う必要性もないと思う。それはただの符号なので。その符号を特別視するなら、やっぱりそれはただの符号にはならない。理解とは何なのでしょう。溶け合いたい人と溶け合うことが出来たらどんなに素敵なんだろう、とか。そんな魔法が欲しい。

 

人生で初めて煙草を吸いました、私はきっとこの味を一生忘れないでしょう。喫煙者になる予定はありませんが、たまにこの銘柄を吸っては二十歳の自分を思い出すのでしょう。今ですらたった数週間前のことを思い出すのだから。

 

 

 

3.10

 

 

 

自分という人間がいて、自分がどんな人間なのかずっとわかっているつもりでいた。ずっと周りに誰かが居てくれた。だから安心して、自分をさらけ出していたのだと思う。いつかそんな人はいなくなると分かっていた。どこかの時点で居なくなってしまうから、それまでに強い自分になろうと思っていた。でもなれなかった。こうして欲しいという欲求はだいたい満たされていて、そうやって満たされていたからある程度ちゃんとできていたのだと思う。私が言って欲しい言葉を言って欲しい時に言ってくれる人、私がして欲しい行動をして欲しい時にしてくれる人。ああ、もう嫌だと強く思うようになった。色んなことが億劫で面倒くさくて、どうでもいい。ちゃんとしなきゃと思えば思うほど、周りとの差異に気づき落ち込んでしまう。どうしてそうはなれないんだろう。ただ同じ所にいたいだけなのに。ちゃんとしなきゃって思い続けて、色んなことを割と頑張ってみて、あともう少しでなんとかなれそうだったけど結局糸が切れた。全部の頑張りが無駄だった気がした。全部独りよがりで、何かを他人のせいにし続けた。虚しい切ない痛い苦しい、もはやそのどれでも無くて心を空っぽにしてしまえば少しは楽になれる気がする。人に興味を持つと辛い目にあう。何かを望むことをやめたら幸せになれるだろうか。感情というものを全て取り払って、全部のことに対して平坦でいられたらいいのに。そうすればもっと真面目になれるだろうか。楽しいと思えば思うほど、やっぱり無機質さが襲ってきて後悔する。何も言わなければよかった、何も話さなければよかった。一から十まで全部間違えた。全部の選択を間違えた。言えば言うだけ何かが起こる気がして言ってしまった。全部自分の首を絞めている。もう次は何も話さないようにしようと強く決意するのに、目の前にいると色んなことを話してしまう。何にもならないのに。早く今の環境を終えて、無に戻りたいです。無に戻ったら沢山泣くと思うけど、何も間違えることは無いから。何かを話しすぎることはないから。早くどれだけ会いたいと願っても会えないぐらい遠い遠いどこかへ行ってしまいたい。本当はそれぐらい遠い場所にいるはずなのにな。