眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

3.21

 

何かたった一つ、盲信的で少し狂った関係にまたひとつ終止符を打ったようなそんな最近でした。お互いに相手のことを都合のいい時に利用しようみたいな気持ちでしか相手のことを見ていなかったんだろうなと思います。私もそうだったし、多分相手も。そしてその相手にそれだけの価値が無くなったことをお互いに理解し合ったからこうなったんだろうと。少なくとも私にはもうそれだけの価値も優しさもありません。友人に少し前に自分の特技を話しました。お酒を飲んで酔っていたから口からいくらでも出ていきました。もちろんその友人を信用していたから言えたことで、他の人には決して言えないことです。友人は笑っていました。私がこうなりたいと話すと今はそうでは無いかもしれないけれどその一端は持っていると言ってくれました。私がこうであることを否定せずに優しく笑ってくれる大事な友人です。私がこうなりたいと思う一因となった友人のことも大好きです、今はただその気持ちを素直に話すことができます。自分の人生の中で一番自分を見つめ直す理由になった人です。本当に自分がどんどん変わっていくことを感じます。一年前の自分は別人のよう、怖いぐらい。私が書いた文章はほとんどが自分のための文章で、自分が読むために自分がいつかこの時の自分を知ることが出来るように書いています。もう忘れてしまった名前もあれば、十年近く使っている名前もあって目を覆いたくなっても全部残しておけばよかったなとか考えたりします。自分の人生最高の日だと思った日からもう一年が経ったのかと思うと面白いです。私が思い返す軸の中にさっき書いた友人がたった一人独立して巨大なピンとして立っています。その友人との思い出が私の過去を振り返る軸になっています。そんな人に出会うなんて私は何も知らないままある選択肢を取りここに来たんだと思うと不思議な気持ちになります。人生の最高の日を知らない私、知った後に深く絶望した自分、色んな私がいて文章を読み返す時に考えます。

 

約三年前に初めて読了した小説を読み返しています。久しぶりに読むと新しい発見があったりして面白く、最後の方は何度も読み返しているのだけれど全部を読むのはあれ以来かもしれません。あの頃の感想が知りたくてあのころ付けていたであろう読書記録場を右往左往しました。今もですが継続しない性格なのでああ、ここにあったのかと不思議な気持ちでした。そう思うと田中という名前はかなり長く持っている名前かもしれません。三年前の私はもはや今の私とか別個体の人間で、懐かしさというかこんな人間もいたんだなみたいな変な気持ちです。今とは全く違う環境に身を置き、多分毎日が今とは違う意味で楽しかった気がします。懐かしい。意外と戻りたいとは思わないけれど、あの日々が間違いなく私の何かを構成しているような。

一年か二年近くある小説家の小説を読むことに読書のほとんどを捧げていた時期があって、あの頃の自分はすごく楽しかったなとか。何も知らない状態で一から全てを読み返したい作家でした。懐かしい。

私にノブレス・オブリージュという言葉の意味を教えてくれた小説が大好きだった自分と、そこから離れるしかないのかもしれないと悟った自分の記録も出てきて面白かった。小説は私にとって神のような存在なのだけれど、盲信しているかと言われるとそうでもなく。でも限りなく盲信に近い何かを感じていて、それが上手く言葉に出来ないことが悔しい。ただ神が全て正しい訳ではなく、ここで終わりだと思えば終わってしまう。それを知ったのがその作品だったのかも。