眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

8.7

 

 

 

もう少しで二十一歳になる。ついになりたいと思い続けた二十歳が終わる。でも私は二十歳になるということが目標だったので、もう後の年齢はどうでもいいや、という気持ちもある。私は成人した。その現実がどうしても欲しかった。二十歳という一年は人生で一番感情が揺れ動いたかもしれない。本当に。怖いぐらい。今のところ人生で一番の決断はもっと昔だ。でもその決断や選択があったから今があるのだと思う。一度も後悔したことはなかったけれど、何度も悔しいと思った。欲しいものがうまく手に入らない現実や、どうしてという気持ちはふとした瞬間に浮かび上がった。でももう今ではそんなものどうでもいいやというか、前のように浮かび上がることがなくなった。すごく今が楽しい。私が楽しいと言って笑うことを喜んでくれる人ができた。それがすごく嬉しかった。色んな人に迷惑をかけてきた人生で、少しずつ成長できている実感がある。まだまだ悪いところは悪いところとして残り続けているのだけれど、自分というものとの付き合い方を学び始めている。遅いかな、でもそんな感じ。時間をすごく使ったけれど、やっとなんとかなった。やっと色んなことが落ち着いた。辛かった、もう逃げようかなって何度も思ったけれどその過程も今では必要だったのだと思う。私を救ってくれる人に出会った。私の救いだった。今でも救いだ。無条件に私を救済してくれる。何度も何度もその言葉や行動に救われ、私は浮上した。私は私のままでいいと言ってくれたこと、誰とも同じにならなくてもいいのだと言ってくれたこと、苦しさをどこかに葬り投げてくれたこと。何度も出会いたくなかったと思い、何度も何度も出会えてよかったと思った。本当にもう二度と出会えない人だと思う。人は誰一人として被ることはないのだけれど、そういう話とは違った次元で唯一無二だと思う。もう話すことが叶わなくなるぐらいなら、生きていたくないと思った。今は思っていないけれど。この世の価値と等しいと思った人。生きる意味と同等だと思ったこと、本当に色々思ったし考えた。どうして私は救ってくれる人に全てを投げ出そうとしてしまうのだろう。何度も失敗して、いつも反省するのに同じことをしてしまう。馬鹿だと思う、でもどこかで願ってしまう。もうそうやって願うこともやめたい。でもまた私は繰り返すのかもしれない。二十歳になったということの意味を半年経ったあたりから実感し始めています。自分で自分の責任を負うという意味、自分の行なった行動は誰も庇ってはくれず全て自分に降りかかるということ。逆を言えば今までの私は周りの大人にとてつもない力で守ってもらっていたのだということ。無銭の加護の中にいたのだということ。まだ何も持たない私を助けてくれた人たち、何も持っていない私を頼ってくれた人たち、そんな人がいてくれることが本当にすごいことだなあとか。何も持たない私が何かを持つ日は来るのだろうか、来ないような気がする。空回って空中でぐるぐるして、勝手に虚しくなって勝手に落ち込んでまた浮遊していく。それが私かもしれない、とか。他人が持っているものを欲しがろうとすることをやめようと思ったりやめられなかったり。私は欲しいものがすごく欲しいのに、欲しいと思うくせになんとかしようとする気持ちがないからいけないのだろうな。でも私は空から降ってくることを望むことがやめられません。無条件にもらえないかなって。それが無理なことは十二分過ぎるぐらいにわかっているのに。無条件にもらえるほどの人間ではないのに。無条件で貰えるほど何かを持っている人間ではないので。いつかもう一度出会えるだろうか。でも今は本当に私が私でいることを受け入れ、尊重してくれる人がいるから幸せ。今が楽しい、今が幸せ。昔からあまり過去に帰りたいと思ったことがないような人間だったし、そんな人生だったけれど今は特にそう思う。今が一番幸福。私の幸福は私が持っている。私はいつの間にか煙草を止めることができなくなっていました。でも煙草を吸うことで連れて行ってくれる天国があるので、それはそれで良しかなと。これも成人したから味わった感覚だと思います。同じ空間で同じことを共有していることが何よりも幸せでした。私の二十歳は悶え苦しみ虚しさと闘いながら日々を流動し、絶望を味わい全ての意味を見つめ直しながらお酒を飲み煙草を吸っていた一年間だったかな。今までの人生の中で一番生きている幸せと絶望を味わったように思います。さよなら、私の二十歳。私が一番私の誕生日を祝えるよ。