眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

3.25

 

 

理解されたいとか、そんなこと思わない。個人と個人は違うものを持つだけということがどうしてこんなにも難しいんだろう。ただ、私と貴方、あなたとわたしが違うという現実が現実としてそこにあればいいのに。全人類みな違う人間でみんな違う世界に住んでるのにどうして分かろうとするのだろう。違う世界にいるということを放っておくのは悪なんだろうか。少しベクトルが似ているかも、みたいな人同士で話すだけじゃいけないだろうか。理解できないことを理解できないままにすることはいけないことだろうか。どう頑張っても分かり合えないのに?最初から違う場所にいても同じ場所を目指さないとダメなのだろうか。分かり合えないと諦めてしまうことは悲しいこと?でも間違いなく分かり合えない相手というのは存在して、それは至極当たり前でただそれだけなのに。同じ波形を持つ人間は存在しないのだと気づいた時、孤独よりも安心感の方が勝ったかもしれない。同じ波形を持つ人間は存在しないけど、似たような波形を持つ人はいる。凄く嬉しい。人が持つ符号はただの符号だと思うのに、自分のそれにはただのそれだと思えなかった。怖くてほとんどの人に対して口にできない。口の固さに対しての信頼というものはとても厚いのだと最近感じる。自分という個の開放、してよかったと思う瞬間もしなければよかったと思う瞬間もあるけど今はしてよかったかなと思う。理解とはなんだろう。寄り添いとはなんだろう。私が持つ符号と他の人が持つ符号、別に理解し合う必要性も分かり合う必要性もないと思う。それはただの符号なので。その符号を特別視するなら、やっぱりそれはただの符号にはならない。理解とは何なのでしょう。溶け合いたい人と溶け合うことが出来たらどんなに素敵なんだろう、とか。そんな魔法が欲しい。

 

人生で初めて煙草を吸いました、私はきっとこの味を一生忘れないでしょう。喫煙者になる予定はありませんが、たまにこの銘柄を吸っては二十歳の自分を思い出すのでしょう。今ですらたった数週間前のことを思い出すのだから。