眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

9.6

 

もう少しで二十歳。私の十代は終わる。ラストティーンだ。私は一度もこの十代に執着したことがなく、出来ればなるべく早く終わってしまいたいとずっと思っていた。今もそう、少しでも早く二十歳という冠が欲しい。少し前にTumblrに書いたけど。十代が終わることが惜しいとは思わないけど、二度と来ないこの時間は少し惜しいと思う。今の私はいつか消えてしまう、この気持ちもこの考えもこの文章を書く自分も。それが寂しい。去年書いた文章は既に懐かしくて眩しくて羨ましい。私の十代十年間、本当に色々なことがあってだけど全体的に柔らかいところの範疇にいたと思う。私にとって大きいことは成長したら別に大きくなくて、私が気にしていたことは周りにとっては普通のことで。そうやって受け入れてもらえる環境だということもあるんだけど…。十代最後の十九歳で久しぶりに好きな人が出来た。私は去年の四月に昔好きだった人以上にかっこいい人に出会えていないと書いていた。やっとこさ出会えたよ。何年ぶりかな、とてつもなく久しぶりで毎日ドキドキする。そして十九歳で久しぶりに友達ができた、これも久しぶり。すごい、こんな事ってあるんだな〜って毎日キラキラしてる。ラストティーンマジックかも。もうずっとどうでもよくて諦めてた。人間関係に期待しなくなって、友達作りも諦めてて、友達がいればなんでもよかった。他の関係が壊れても別にいいや。そういうものだし…みたいな感覚がずっとあって、だから全部切ったというか。全部リセットしたくなって、リセットした。私は直ぐに人間関係から逃げたくなる、すぐにコミュニティに飽きちゃって遠くに行きたくなる。壊れてもいいや、消えちゃってもいいやってずっと思っていたのに久しぶりに壊れたら困るって思う友達ができた。自分にもう一度こんな出会いがあるなんてね。まだ二十歳にはなれないのだけれど、私の十代は統括したらいい十年だったと思う。死ぬほど逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げまくって完走したことなんてほとんどないし逃げることが正解なのかは未だにわからない。でも後悔は一度もしなかったし、そのうち逃げたことすら忘れてしまうように思う。早く二十歳になりたい。さよなら私の十代。やっと大人になれる。成人だ。最近色んなことが懐かしくて、色んなことが本当に懐かしい。沢山の時間を過去の回想に使うようになった。歳を取ったということだと思う。なんかこうアルカリ性や酸性から中性に向かっているというか、中性になった気がする。二十歳目前の今十代を思うと、十代って無敵だと思う。もう今じゃできないことがいくらでもできた、なんでも出来た。恥なんかほとんど考えずに自由だった。あの自由さを私はどんどん失っていく。最近本当にこれが歳を取るということなのか…というのを何度も感じるし沢山考える。あの柔軟さ素直さ吸収力がもう今の私にはない。その手前でプロテクタを使って防御してしまう。とてもじゃないけどもう抱えきれないというか、私の中身はぎゅうぎゅうになってしまって。こうやってアップデートされず私という人間は古くなっていくのかしら、なんてね。十六歳とか十七歳ぐらいの私は固定概念というものが本当になくてすごく生意気で、でもあれがピークだった。もう今はない私、無い欠片。気がついたら消えていた。毎日悶々と寝る前に考えていたことは覚えていないし、どんな事を夢見ていたのかもわからない。こうやってあの頃に固執することこそ衰えというか、老いなんだなと思う。堂々巡りの話だ。十代は無敵だ、何だってできるし何にだってなれる。まだ十代だけど、十代真っ盛りの私はそう言われても絶対に信じない。でも今なら思う。十代ほど強い十年間はこの先一度もない。どこへだって行けるし、本当に何者にだってなれる。すごく美しい十年だ。もう私は終わるのだけれど。私は早く十代を捨ててしまいたいけれど、十代の自分の感情や考えには執着してしまう。水曜日を作った時は私はまだ十七歳だった。華のセブンティーンなんかどうでもよくて、早く二十歳になりたいばかり言っていた。というか私のセブンティーンは人生で一番ぐらい嫌というかなんとも言えない一年だった。特に華はなかった。さよなら私の十代。やっと大人になれる。もし誰にもお祝いされなくても私が誰よりも自分の成人を祝える。それぐらい嬉しい。