眠っていたい

!がついているものは過去の下書き放出

6.26






Aというとても大きな集団が悪いと思った価値観は悪いという感覚すごく怖い。誰もが自分という価値観を持ち、それはこの地球上で誰一人として被らずバラバラなもの。ただそれだけのことがどうしてこんなに難しいんだろう。私の価値観と貴方の価値観は違うのに、どうして統一するんだろう。貴方が不快であれば、貴方が属するグループにとって不快であれば、その価値観は否定され叩きのめされ時代遅れだと言われなければならないのだろうか。どうしてこんなにも思考が統一されなければならないのだろう。それが本当の多様性なのか…?Aという大きな集団が心地良ければそこから外れた人達の心地良さは踏みにじられてしまってもいいのか?どうして自分の価値観は正と無条件に信じることができるんだろう。というか正しい価値観ってなんだ?誰が決める?価値観に正も悪も新も古もあるんだろうか。勝手に他人の価値観をジャッジして分類してゴミ袋に入れてゴミ回収所に置きに行く権利は誰にある?私と貴方はこんなにも違うのにどうして一緒になるんだろう?もうみんなで溶け合って液体になってぐちゃぐちゃに混ざりあって私も貴方も隣人も一番遠いところにいる人もみんな境界線がわからなくなるまで一緒になればいい。そうすれば人類という個になれる。どうしてみんなを普通というカテゴリに入れようとするんだろう?結局統一してしまう。みんな同じカテゴリにぶち込んで戸棚に押し込むしかないのか…。私の価値観は貴方にとっては悲しい価値観なのかもしれないけれど、だからといって悲しい価値観だと悲しまれる理由はどこにあるんだろう…?個が個でありながら、個としては見てもらえない。なぜその行為が悪いのか、なぜその行為は裁かれるのか、そしてそれを線引きするのは誰なのか、とてつもなく難しくて永遠的な問題が溢れ出して止まらない。